単位が取れない底辺大学生が、副業ライターとして月20~30万を安定して稼ぐまでのロードマップ
こんばんは!はくです!
昨日の配信では
安定的に副業で20~30万を稼ぐと
▶︎老後の不安も消える
▶︎貯蓄や資産運用や自己投資に
回せるお金ができる
▶︎家族や恋人など大切な人と
ちょっぴり贅沢ができる
▶︎独立して何にも縛られない生活が
できるようになる
などたくさんのメリットが
あることをお伝えしました。
(昨日の記事を読んでない人は
コチラから読んでください◎)
では、実際にどのようなロードマップを
辿れば副業ライターで安定して
月20~30万稼げるようになるのか?
具体的に何をやったらいいのか?
はくは一体何をしてきて
副業月収20~30万を安定して
稼げるようになったのか?
本日はそのあたりをお話しします。
実は結構人気な記事でして・・・
配信してから下記のような
感想をいただいてます。
:
:
はくはどのようにして
副業ライターとして
月収20~30万を安定して
稼げるようになったのか?
今でこそ
「はくさんは頭がいいから・・・」
「はくさんは能力があるから・・・」
と言われることもありますが・・・
元を辿れば
僕は本当に凡人です。
起業をして
うまくいってる人の中には
「東大卒です」
「親が経営者です」
「実はIQが120あります」
みたいな明らかに
一般人とは違う能力や環境を
持った人が目につきます。
反対に
「餓死するくらい貧乏でした」
「親がいませんでした」
「虐待に遭ってました」
のように特殊な幼少時代を過ごし、
反骨心で成功する人もいます。
でも
そんなの真似できるわけないじゃん!
と僕は思うわけです。
しかし安心してください。
僕はそのどちらとも違います。
両親ともに公立高校の教員をしていて
裕福でも貧乏でもない3人兄弟の
真ん中として生まれ育ちました。
田舎ですが、
両親が一軒家をローンを組んで
建ててくれて、
常識と愛情のある
家庭で育てられました。
衣食住で人並み以上に
自由があったわけではありませんが、
大きな不自由さを
感じたこともありません。
ザ・普通の家庭で育ちました。
家計が平凡なら能力も平凡。
両親と姉はいわゆるFラン大学を
卒業して教師になりました。
妹に関しては専門大学に通い
春から看護師になります。
間に生まれた僕も当然平凡。
周囲の人間の能力の高さに対して
大きな劣等感を抱えて
これまで過ごしてきました。
その大きな原因の1つが
親友の存在でした。
全てを兼ね備えた親友に
劣等感を感じる少年時代
家の距離は50mくらい。
小・中・高とほとんど毎日
一緒に登下校をした親友です。
(以降K君とします)
K君はスペック最強。
超絶イケメンの
眩しいくらいの陽キャ。
サッカーは県の選抜に
選ばれるくらい上手くて
何をやっても運動神経抜群。
フットサルで全国準優勝もしてます。
ちなみに頭もよく
サッカーで忙しいのに
偏差値70オーバーの
進学校に進学しました。
当然モテモテで
バレンタインには
チョコが集まっていました。
(女の子がK君の家によるついでに
僕の家にも友チョコを届けにきてたのは
懐かしい思い出である。)
そして家はとても大きい。
それに僕の母は正規雇用の教員を
していたので朝から晩まで家にいなかったが
K君のお母さんはずっと家にいる。
だから家の中はどこもかしこも
整理整頓されてて綺麗。
初めてお家に遊びにいった時に
やべ〜〜!!
なんだこの綺麗でデカい家・・・
と思った記憶があります。
車も外車で、
よく習い事のサッカーの
送迎をしてくれていました。
忙しい僕の両親の代わりに
いつも送り迎えをしてもらってる
申し訳なさ
サッカーを頑張っても
全然勝てない悔しさ
大きく綺麗な家で
良いモノを買ってもらえてる羨ましさ
何をしても勝てない、
遺伝子から違うんだ・・・という惨めさ
いろんな感情が
ゴチャゴチャになりながら
一緒に過ごしていた記憶があります。
どうしてK君はそんなに
全てを持ち合わせているんだろう?
小学生ながら僕は
1つの結論に達しました。
答えは・・・
お父さんが大企業に勤める
エリートサラリーマンだから
そう。
K君のお父さんは
有名大学を卒業して
一流の大企業に勤めていた。
だからこそ
▶︎綺麗な奥さんと結婚できて
▶︎優秀な遺伝子(K君)が生まれて
▶︎家が大きくて綺麗で
▶︎奥さんも働かなくてよくて
全てを持ち合わせている
そんな風に結論づけました。
となれば僕がやることは
1つに決まりました。
死ぬほど勉強して
いい高校に進学して
いい大学に進学して
大都市の大企業に勤めて
年収1000万もらって
人生勝ち組になるんだ!
そして自分の子供も
生涯勝ち組に育て上げるんだ!
忘れもしません。
こう決意したのは
小学校5年生の時でした。
そんな人生レベルの目標ができたので
僕は寝ても覚めても勉強をする
中高時代を送りました。
邪魔すんな!!
あと30分でいいから
勉強させろよ!!
と、母に怒鳴りつけるような
世にも珍しい反抗期を送ってきました。
狂気じみた努力と
それを支えてくれた家族の存在もあって
世間的には『優秀』と
言われる国公立大学に無事合格した。
大都市の大企業に勤める
勝ち組サラリーマンになるのに
大きく前進した瞬間だった。
ビジネスとの出会い
大学ではそれまでの鬱憤を
晴らすかのように遊び呆けた。
後は卒業しさえすれば
将来が確約されてると
思っていたからである。
週5でバイト、
週2で飲み、
週1で友達とドライブ、
週1で彼女とデート
みたいな生活を送った。
そんな中100年に1度の
感染症が日本を襲ってきました。
新型コロナウイルスの蔓延です。
バイト先は休業。
大学はオンライン授業。
サークルは活動休止。
嫌でも世間から断絶されました。
時間を持て余した僕は
YouTubeでビジネス系のチャンネルを
見るようになりました。
そして1つの情報が目に入りました。
大学生が月収50万達成
寝そべっていましたが
体が跳ね上がりました。
夏休みの期間にどんなにバイトをしても
月に19万稼ぐのが精一杯だった僕からしたら
ありえない数値でした。
どうやら彼はプログラミングをして
その金額を稼いだそう。
時間も、多少の貯金も、希望もあった僕は
この瞬間から起業を志しました。
いてもたってもいられず
給付金でMacBookProを購入。
YouTubeを見漁りながら
ブログを開設を試みました。
我ながらとんでもないスピード感です。
しかし
「サーバー」「ドメイン」「ワードプレス」
などのカタカナが全く理解できません。
速攻で挫折しました。
我ながらとんでもないスピード感です。
次に始めたのはFX。
実は高校の友人がFXで既にFIREしてました。
(FIRE=生涯年収を稼ぎきってニート状態)
自己投資の感覚も身についていたので
ツールを買い漁り3ヶ月ほど熱中しました。
しかし全く成果が出ずに挫折。
その後YouTube、TikTokと
挫折を繰り返しました。
「起業して人生を変えたい」
そう思ってから
半年以上が過ぎ去ろうとしていました。
そして辿り着いたのが
結局プログラミング。
ようやくここで芽が出ました。
これまでの挑戦と違ったことは
大きく2点。
- 環境や指導してくれる人に
自己投資したこと - 情報発信を始めたこと
オンラインサロンに入り、
身近にアドバイスを
してくれる人ができました。
またどんなに小さくても
成果をアウトプットすることで
フォロワーがつくようになりました。
最初は時給200円でしか
働けなかったものの
一念発起して休学した初日に
総額50万円の案件を受注。
その月はさらに
営業活動に力を入れて
総額130万円受注しました。
少しずつ歯車が動き始めました。
すぐに僕はその成果を
Twitterで更新しました。
成果を出してきた行動の足跡や
使った情報を
「プレゼント企画」という形でアウトプット。
すると1ヶ月で
フォロワー1000人増加。
そのまま集まったフォロワーに対して
noteを販売し140部以上売れました。
所属していたオンラインサロンからは
ウェビナー講師の依頼がきて登壇。
次に営業代行を始めて